The Dream of the Blue Pines

Experience live music and performances in London (and in other places...)

Friday, June 16, 2006

Twelfth Night

15 June 2006
Barbican Theatre, London


Directed by Declan Donnellan
Designed by Nick Ormerod
Produced by Chekhov International Theatre Festival in association with Cheek by Jowl

全員ロシア人男性というキャストで上演するシェイクスピアの『十二夜』。誘ってくれたのは前回も登場した、日本の大学でシェイクスピアを教える友人。そこにケンブリッジで英文学を修めた友人他イギリス人3名と、強靭な布陣で臨む観劇です。

その中で私一人が「ねえ、『十二夜』ってどんな話?」状態で参加。

「そっくりな男女の双子の乗った船が難破して、妹Violaは辿り着いた国の貴族に男装して仕えながら、その公爵に恋をしてしまう。でもその公爵は、ある姫に思慕を抱いていて、でもその姫はお使いで尋ねてきたViolaに恋をしてしまって…その三角関係に双子の兄も絡んでごちゃごちゃになって…で、一方で酔っ払いたちが騒いでる。ま、シェイクスピアのいつもの奴よ」とのイギリス人の概要解説を何とか聞いたところで、舞台の幕が開きました。

舞台はガランとして、天井から布が柱のように下がっているだけ。ベージュと黒を基調とした、モダンな衣装をつけた俳優たち。シンプルでスタイリッシュな舞台美術です。

台詞はすべてロシア語。天井近くにある電光掲示板に出てくる英語字幕を見ながら、演技を見る必要があり、しかもシェイクスピア時代の英語…と、苦戦を強いられるかと思ったのですが、どうしてどうして。ある程度キャラクターが掴めたら、後は字幕なしだって楽しめるような舞台です。

なんたって、役者が芸達者です。まずは‘女性’たち。キャストが全員男性なので(シェイクスピアの時代もそうですが)、その中で「男性が、男性を装う女性を演じている」というのが複雑ですが、華奢な俳優が見事にやってました。一方、美貌ながら引きこもりになってるOlivia姫を演じる俳優は、結構がっちり体型なので、どこか「男嫌いだが金と暇は余ってて若者好みな中年女性」という感じでしたが、ふとした仕草などうまい!

でも実力を発揮していたのは、三角関係を演じてる主役達とは別の、酔っ払いチームの皆さんでした。この酔っ払い達は、本編の恋愛話とは別に、「オリビア姫に仕える嫌味な家僕を、こてんぱんにイジメる」物語を展開しています。
姫の叔父さんで飲んだくれのトビー卿は、オヤジながらも踊るは、イスは振り回すは、腕立て伏せするは…と肉体を駆使した演技で笑えます。道化師役の痩せたおじいちゃんや、知恵も勇気も全くないお坊ちゃま役のバカデカイ若者もいい味だし、トビー卿に恋をしているメイドのマリアも、見るからに小男っぽい体型なのが、逆におばちゃんっぽくておかしい。彼らが、終始観客を笑わせ続けていったという感じです。

音楽というのも重要な要素。原作にもいくつか歌が入っていますが、この劇団はその歌をかなりアレンジしています。酔った勢いで殴られたマリアが、腹いせに酒(恐らくウォッカ)をあおる間(そんなシーンは原作にはない)、許しを請うべくトビー卿が歌う歌はまさに‘ロシア風演歌’。
一方公爵が酔う恋の歌は、ラテン系シャンソンのようなリズムになり、道化のおじいちゃんがカラオケよろしくマイクを握って披露。演奏自体も、俳優たちが、ギターやトランペット、タンバリンなどをこなします。

その他、友人によると台詞の順を少し入れ替えて、洗練された演出になっていたそうです。ハッピーエンドに浮かれる人々の中で、とことんイジメられた家僕が「仕返ししてやる」という台詞で劇を締めるなど、とても効果的です。

こういう‘脇’のキャラクターまで、びっちり描けているのがシェイクスピアのすごいところ。劇団の役者みなに見せ場をつくる、座付き作家ならではでしょうか。
また、有名な「music be the food of love」とか「Be not afraid of greatness」とかも活きていますし(っていっても、ロシア語なんだけど)。
400年以上、すたれずに上演され続けるのがよくわかります。

というわけで、ロシア語シェイクスピアと難解そうに聞こえる劇が、大笑いのうちに終わりました。
もちろん、シェイクスピアの台詞などを知ってたらもっと面白かったんでしょうが。

教授T君によると、96年の英国映画『十二夜』は、すごーくお勧めだそうです。味のある英国人俳優陣で、コーンウォール地方を舞台にした美しい映画だそうです。次はこれを見よっと。


この上演のサイト:http://www.barbican.org.uk/theatre/event-detail.asp?ID=3659

日本で買えるお勧め映画:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0009J8K8Q/qid=1150475177/sr=1-2/ref=sr_1_10_2/503-1840875-4155124

Monday, June 12, 2006

Rotterdam Philharmonic Orchestra with Valery Gergiev/Lang Lang

11 June 2006
Barbican Hall, London

Shostakovich Symphony No 3 ’May Day’
Beethoven Piano Concerto No.4
Shostakovich Symphony No 15

Valery Gergiev conductor
Lang Lang piano
Rotterdam Philharmonic Orchestra

これは今たまたまロンドンにきている大学時代の同級生のお勧めで行ったコンサート。普段の私だと、ショスタコービッチにベートーベンという取り合わせには行かなかったと思うのですが、その友人は母校の大学の助教授をし、学内のオーケストラの顧問を勤めていて音楽にはちょっと詳しい。私はクラシックといってもピアノやチェロ中心に偏って聞いているので、オーケストラを聴くにはいい機会です。

フル編成のオーケストラこそは、ライブで聴くものですね。音響の幅が広いから、レコーディングではなかなか聴けない低い響きや高い音色が堪能できる…というのもあるでしょうが、私は楽器にそれほど詳しくないので、管楽器など「あ、これはフレンチホルンだったんだ」とか、「え、これトロンボーンに細工した音なんだ」など、見なければわからないので楽しい。最初に演奏した交響曲3番は、いろんな楽器に見せ場があるので面白いです。チューバのソロなんて、なかなか聞けないし。パーカッションもいろんなものを使ってるし、カラフルです。最初はとっつきにくい曲なのだけれど、聴くうちに面白さが高まっていく感じでした。
指揮者Valery Gergiev(ワレリー・ゲルギエフ)が流石、というところでしょうか。日本でもすごく人気があるそうですが。ソビエト時代のレニングラードで才能を磨き、ソ連崩壊後もマリインスキー劇場を守り抜いて、今や世界屈指の指揮者…その彼が、スターリン時代のソビエトで、批判を(多分)内に秘めつつ作曲し続けたショスタコービッチの交響曲を演奏…と聞くと「あー、重たい」という感じですが、その重さを感じさせなかったのは、ロッテルダム・フィルのおかげ?どこかアットホームな感じもする、すてきなオーケストラで、ゲルギエフとも11年のつきあいで息もあい、ぴたっと決めていました。

重さ、といえばベートーベンだって大げさと感じがちですが、20世紀のソ連の曲に続いて聞くと、なんとまあ華麗でロマンチックに聞こえること!協奏曲4番というのはポピュラーな曲だし、ショスタコービッチの曲とちがってメロディーも口ずさめる馴染みがありますし。
その軽やかさを加えたのは、中国人ピアニストのラン・ラン(郎朗)の、若干23歳(!)の新鮮さと、繊細なタッチと、叙情的に歌い上げるスタイル。
彼は来日中に縁あって私の母校の大学のオーケストラを訪れ、ラフマニノフ協奏曲二番を演奏したとか。その際も学生達にもアドバイスし、そのオーラに刺激を受け、オーケストラの演奏も格段によくなった…と、顧問である友人は感激していました。ラフマニノフ弾かせたらいかにも上手そう!と思いますが、あの難曲を軽々と弾きながら、学生達に話をしたりできちゃうのだそうです。若いのにすごい才能のある人がいるものです…今回のベートーベンは彼の一人舞台という感じで、拍手なりやまず。4回もステージに引き戻されて、アンコールにモーツァルトの小品を弾きました。

というわけで満足な第一部を終え、休憩をはさんで最後の曲はショスタコービッチの最後の交響曲、15番。これは何と言うか…正直いって、よくわからなかった…ところどころに素敵なチェロのソロとか、面白いメロディーとかあるし、『ウィリアム・テル』の一節を引用したり、いろいろ遊んだり皮肉ったりしているのはわかるのだけれど、曲全体として何だかつかめない…そして、文字通り「フェードアウト」な終わり方。前半の感動に比べて、ウームな第二部。どうしてこの曲を選んだの??と思ったけれど、今年はショスタコービッチ生誕100年記念で、‘The Shostakovich Cycle ’と称し交響曲全曲を演奏しようという企画の一貫なのでした。

というわけですが、私も食わず嫌いをせずに聞いてみて、いろいろ発見がありました。
ありがとね、T君。


ランランのサイト:  http://www.langlang.com/

ゲルギエフの日本語サイト: http://www.universal-music.co.jp/classics/gergiev/valery_gergiev.htm

Thursday, June 08, 2006

Kabuki featuring Ebizo Ichikawa XI

7 June 2006
Sadler’s Wells, London



市川海老蔵の歌舞伎ロンドン公演観劇に、イギリス人・香港人・ドイツ人・日本人の混成チーム総勢8名で繰り出すことになりました。

私自身の歌舞伎の知識は‘外人’並。初めて歌舞伎を観劇したのもロンドンで、5年前に訪英公演した近松座の『曽根崎心中』でした。しかも仕事絡みで偶然に。
厳密には小学校の頃、学校行事として歌舞伎観劇したのが最初で、今思えば贅沢な経験ですが、小学生にはまさに豚に真珠。「歌舞伎って退屈」という記憶だけがトラウマのように残り、大人になっても興味が沸かない…という逆効果でした。でも、2001年の中村 鴈治郎(現:坂田 藤十郎)のロンドン公演は、「歌舞伎役者の演技ってすごい。結構面白いんだ、歌舞伎って」という‘目覚め’になりました。

歌舞伎への関心は演劇大国であるイギリスでは高く、チケットもほぼ完売に近い状態。私の周囲に声をかけると、なかなかこういう機会でもなければ歌舞伎に縁はないであろう友人達が、喜んで来てくれました。

会場であるサドラーズ・ウェルズは、バレエの発祥の劇場という伝統ある劇場で(施設は近年改装されたのでモダン)、ダンス関連の上演を中心にする劇場です。今回は一応花道をつくったり、歌舞伎ならではの緞帳(黒、オレンジ、緑の縞の)を下げたりして、略式の歌舞伎舞台というところ。
演目は『藤娘』と『色彩間苅豆かさね』です。

ロンドン公演では、英語のイヤホンガイドが活躍します。日本でも外国人向けに用意されているガイドですが、台詞の翻訳だけでなく、踊りや長唄などの意味や背景を解説するので、‘外人’の私にもありがたいものです。

さて市川海老蔵は、私でさえ名前を聞いたことのある人気者ですから、ロンドンで15ポンド(安い2階席・3000円程度)の安さで見れるのはラッキーなのでしょう。しかし、日本では歌舞伎という伝統の世界に新風を吹かす若き海老蔵がどれほど魅力的でも、歌舞伎自体を知らないロンドンの観客には同じようには見えません。

たとえば日本では『藤娘』は、‘あの海老蔵が女形に挑戦!’というのが話題なのかと思いますが…ロンドンの観客にとっては関係のない話題。逆にど素人の私から見ても、この女形は「肩幅ひろいなあ、男だなあ」と感じさせて、そんなに素晴らしいとは思えない…若手俳優を人間国宝と比べるのは酷ですが、5年前雁治郎が演じた女形には驚いたものです。当時60代の雁治郎が演じる19歳の乙女役…は正直いって苦しかったのですが(元気な頃の祖母を思い出して困った)、それでも仕草や演技はすごかった。
イギリスの観客は演劇についてはすごく目が肥えているので、‘男が女を演じてる’とか‘キモノがきれい’程度では驚きません。そのかわり、名演技は異文化でも理解できるし、ちゃんと評価する。その観客相手に、自分の専門分野外で挑戦するのは、ちょっと違うのでは…と思いましたが。

『かさね』の方の‘二枚目’役で登場すると、素直に「格好いいんだな」と思えて安心。演目としても、こちらの方が多少ストーリー性があるのでわかりやすいでしょう。
でも今回の公演では、台詞に頼らずに伝えられるから舞踏ものを選んだ…とインタビューで読みましたが、これにも疑問があります。日本舞踊の仕草の意味合いとかって、すごく微妙なものだし、解説なしにはわかりにくい。そして相当うまくないと、正直退屈。やはりもっと台詞のやりとり、物語や笑いがある方が、入りやすいのではないかと思いました(少なくとも私は)。

それにしても歌舞伎は「心中しよう」とか「恨んで、死んでからも呪う」などの話が多いのですが、これってまさに異文化。イギリス的には一家心中なんて「突然殺人鬼と化したお父さん、最後に自殺」だし、そして一旦あの世にいったお化けたちは現世の人を呪ったりしないので。「怨みって英語で何ていうか?」と、日本の大学助教授やら英国人編集者の友人たちと話し合ったけれど、grudgeとかresentmentなどの単語をあてはめても、もうひとつピンとこない。『かさね』の女性も、まさに日本的に陰湿な恐さですが、イギリスでも映画『リング』などホラー映画が人気を博した後だから、わかってもらえるかな…

『かさね』は基本的に男女の二人芝居ですから、若手ふたりで舞台をひっぱっていくのは大変だと思います。あまり笑いのポイントもなく、テンションの高さが続く芝居だし。
観客の反応にも苦労したろうと思います。日本だったら、掛け声や拍手が、欲しい時にピタリと入るでしょうが、ロンドンではそうはいきません。
ロンドン公演でも、‘大向こう’として掛け声をかける人はいました。実は、オーディオガイドの英語訳を担当したりしてるような、歌舞伎座の外国人の関係者がやってるんですけど(これは5年前の公演で裏方を務めて知りました)。彼らが、私たち(安いチケットの客)がいる2階席の隅に立ってて、いきなり「ナリタヤ!」「ニダイメ!」と英語訛で掛け声をかけ、その度に観客が驚いて「なんだ、なんだ?」とキョロキョロしてました。
その‘大向こう’役の人のリードで、観客側も、いわゆる「見得をきる」ところで拍手するらしい…とわかってはくるけれど、今ひとつどれが「見得」だか判断つきかねる…という戸惑いがあり、なーんか舞台と観客の一体感に欠けるのが、面白いといえば面白いのですが。

そんなわけですが、上演時間は休憩をはさみ正味1時間半と短い演目なので、私の周囲の歌舞伎初心者たちは異文化体験イベントとして楽しめたようです。5年前の歌舞伎公演で歌舞伎ファンになってた香港人には、ちょっと全体的に物足りないという印象。
私も、日本における若手の活躍は評価するけれど、海外に正統派歌舞伎をどーんと正面から伝えるには力不足を感じました。むしろ、いわゆるスーパー歌舞伎かなんかで、若さを前面に出してしまった方が、ロンドンの観客に受け入れられやすいのではないか、と。
演目の選び方に課題あり、とみましたが。素人のくせに、生意気でしょうか。